第 2874 号2004.02.22
「 東洋の華、梅と桜 」
阪 玖美胡(港区)
「梅は咲いたが桜はまだかいな」
開花が待たれるのは、梅も桜も同じだが、このふたつの東洋の花は悉く違うのである。
比べれば比べるほど異なり、その答が出るたびに、感動するのである。
千年以上も前に、中国大陸から渡来したといわれる梅は一本ごとに枝ぶりが異なる。白梅は一様に雪のように白一色だが、紅梅は濃いの薄いのと様々で、梅の花の咲き方もそれぞれ違う。ほかの木々は暖かい環境をじっと待っているのに、梅は厳寒の二月に春の先駆けとして大胆に咲き、その強靭かつ高尚で勇気ある清楚な姿の中には隠れた華やかさを感じる。寒さが残る中で、けなげに咲く梅はその香をも絶賛される。地味だけれど、梅そのものがスターになりうる花だが、やがて華々しく開花宣言をまき散らしながら、桜前線に乗ってやってくる桜に押しまくられる運命にあることは人、みんなが知っている。むや
みに惜しまれるわけではないが、「梅一輪一輪ほどの暖かさ」と謳われて命果てていく。
豪華絢爛に咲き乱れた桜は春を告げながら、細長い日本列島を駆け巡って新緑の候のプロローグとなるが、その花の命は短い。友人を招いて花見と洒落ようにも、梅の場合は雪景色の中になることはあっても、観梅の宴は予定を立てることができるが、桜の場合は当日がきて、初めて、観桜の宴になるか葉桜の席になるか予想ができない。
やがて迎える我が老いの時、今まで以上に素敵に生きて、梅と散るか、桜と散るか、考えるのも愉しいことになるだろうか。自らのエピローグを書きしたためるのもいいだろう。我が人生のフィナーレの舞台が梅で飾られるのか、桜に囲まれるのか、はたまた秋の紅葉に演出されるのか、想像は実に愉快なり、愉快なり。