「 散歩道で 」
清水 れい子(ペンネーム)
四十年前、野草の天国の武蔵野の一画に、突然、トラクターが何台も現れ、土地の掘削が始まり、あっという間に巨大団地が出現、数々の野草たちは地底深くに消えていった。
あの時、植えられた若木は今は大木となり、三月には淡い緑の霞を葉の散った褐色の枝先にかける。エメラルド色の新緑は四月のもの、若葉が燃える五月、青葉の六月が過ぎ、葉先から雫が落ちる梅雨のころ。くろぐろと繁茂する木陰に風が吹き抜ける夏。やがて紅葉の秋が過ぎ、落葉が舗道の石畳を舞う冬が来る。私は四季折々の光と風を肌にして、この団地の回りを一周する。三キロの道のりだ。
冬のある日、舗道の割れ間から緑の芽が顔を出し、小さな固い蕾をつけた。ぺんぺん草だ。春は間近なのだ。団地の垣根際の小さな葉の上に、仏の座が芽を出し、日増しに伸びて紫の可憐な花を開いた。この花は、人に踏まれても踏まれても翌年にはまた芽を出す。次々と咲く、かたばみ、たんぽぽ、母子草、昼顔、犬ふぐり。団地に自然が復活した。
金網の垣に絡まる時計草。直径が七糎もあって、淡桃色の十枚の花弁、その花びらの中に二重の紫の花芯、その中心にまた黄色と紫の蘂が三本ずつ交差していて野の花とは思えない豪華さだ。植物図鑑には、花弁に見えるのが蕚で、針のような紫の二重の花輪が花びらとあった。
亜熱帯ではパッション・フルーツと呼ばれているとか。私は中国の雲南省シーサバンナでそのジュースを飲んだ。爽やかな味だった。
団地の片隅を占拠するピンクや白のおしろい花。かっては地底深くに葬られた野の花たちは、押し潰されても甦り、逞しく命を育み、巡りくる春には、また花をつける。植物はいいなあ…、人間にはふたたびの春はないのに。人生の晩年の私。若かったころ雑踏の中でも金魚のようにすいすいとすり抜けて行ったのに、とゆっくり歩く。