「 時計の囁き 」
長坂 隆雄(船橋市)
過去40年にわたり、愛用している時計がある。まさに私の分身と言ってよい。
商社員として、中南米諸国を転々としていた当時、免税港パナマで購入したオメガである。購入価格は当時の換算レートで4万円弱であった。新入社員の初任給が1万円強であった事を考えると、身分不相応な高価と言える。
以来約40年、私の手元から一日も離れた事はない。その間、時計の歴史も様々に変化し発展した。手巻きから、自動巻き、デジタル化と機能的に変遷した。多くのメーカー、ブランドが現れ、そして消えていった。
そのような変遷も、私にとっては全く無縁であった。愛用のオメガが、他のブランドへの浮気心を些かも抱かせなかったからである。
手巻きの必要もなく、電池の切れる心配もなく、ただ手の動きだけで、忠実に休む事なく、時を示してくれる。世の中の流行に右顧左眄する事なく、自らの与えられた道を歩む求道者のような姿に感動を覚えた。華やかな、けばけばしいデザインに人々の関心が集まる事もある。併し、いつしか忘れ去られて行く。
私の時計オメガはデザインも実にシンプルである。華やかさもなければ、けばけばしい装飾もない、併し、私は一度として、飽きを感じた事はない。寧ろ、奥深い神秘性さえも感じている。
真の芸術品とは、単純にして、人々の目を飽きさせない神秘性をもったものではないだろうか。その意味では、私の時計オメガは、まさに世界最高の芸術品ではないだろうか。
残念にして、その愛すべき私の時計も、寄る年波に逆らえず、毎日2、3分遅れるようになって来た。そして、私に向って囁くのである。
『人間あくせくしてどうするの。1分、2分なんて、どうって事ないじゃないの。第一の人生は終わったのだから、のんびり行こうよ』
私は、この時計と終生離れらそうもない。