「 つかの間の帰郷 」
風 林(ペンネーム)
年末に、郷里に一人で生活する母のもとへ家族全員で帰る習慣が始まって既に30年が過ぎる。母は既に88歳になる。
「只今!」そう合唱して帰ると直に母のいる部屋の扉を開ける。ニコッと無表情に笑って「お帰り」と応える母。部屋に陽射しが溢れていてもそこは灰色の世界である。
早速、娘がシクラメンの鉢を数鉢買い求めて女の館に改める。家内は直に迫った正月に備えて母の好きそうなおせち料理作りを開始する。
最近の母には急速に老が忍び寄っている。痴呆の影が徐々に進行しているのである。焦点が定まらない瞳、十分前の食事のメニューが思い出せない物忘れ、一種独特の臭気。血を分けた肉親で無ければ我慢出来ないそれらの事に対して何かしら自分が作り上げた責任のような気がして、何とも言えない気持ちになってしまう。
母にはよく「東京へ出ておいでよ!家族多勢で一緒に生活しようよ!」と言うが母の言葉はいつも一緒で「私の性格に都会は合わない。ここで静かに生きさせてもらう」なのである。
四日間の同居生活。それはあっという間に過ぎてしまう。
別れの朝!「もう帰るのかい?」寂しそうな母の声が都会へ帰る人間の胸を衝く。
「一緒に行こうか?」 「うん…でも止めとく!」 毎年の年の初めの決まった会話である。
後ろ髪を引かれる思いで老母に見送られて出発する。思えば何度このような別れを経験して来ただろう。
人の老後。人間誰にでも間違い無くやって来る運命である。
昔よく見られた、孫、子、親、老人が同居して寒い民家で生活した日本の田舎。
隙間風が家の中に忍び込み、火鉢に身を寄せて餅を焼き、暖を取った寒い部屋。
都会の高層マンションに核家族で住み、快適な電化生活に慣れ切った現代のクリスタルな家庭と比較した時、どちらが暖かい家庭なのだろう。