第 2867 号2004.01.04
「 目標をもつということ 」
柚木 実歩子(ペンネーム)
先日、突然頭にひらめいた、というか気づいたことがある。あまりにも、“つまらない”ことすぎて誰かに話すこともなく自分の胸の中にしまっていたもののやはり気にかかり続けている。
その“つまらない”こととは、最近、目標をもっていないということだ。それも、いつからもっていないのかさえわからないほど長いあいだ…。子供の頃は学期ごとに、自分のたてた目標を紙に書いて教室にはっていた。たいていはマジメにとりくまず達成されたことがなかったけれど。「水泳で25メートル泳げるようになる」とか「整理整頓する」なんていうたわい無いものだったような気がする。成長するにつれ、目標を紙に書き出すこともなくなり、おそらく周囲の同級生達同様「いい成績をとる」とか「志望校に入る」「希望の会社に就職する」ことが、一本のレール上にあったのかもしれない。
そして、自分の希望の仕事につきどうにか順調にこなせるようになったいま、ふとこの“つまらない”ことに思い至った。例えば仕事で「期日までに書類を作る」とか「会議でしっかり説明を行う」といったことは目標だろうか?あまりに具体的すぎて、しかもどちらかと言えば義務に近いかも…。
では、私の人生かけての大目標「幸わせになる」ではどうか?
これじゃ漠然としすぎているか…。
日々の生活で心がけている「規則正しい生活をする」とか「バランスのよい食事を摂る」というのはどうだろう?
目標というにはちょっと…というカンジだけれど、子供の頃のものにいちばん近いかも。なぁーんだ、意識していなかったけれど、それなりに目標はもっていたのかもしれない。
そう気づいたらいつもの生活がすこし新鮮に思えた。