「 無題 」
望月 妙子(甲府市)
住所も近く、氏名も似かよった方の封書が誤配された。そのままポストに投函すれば、あらためて本人に配達されるものとは知っていたけれど、最寄りのポストよりその方のお宅の方が近かったので届けることにした。よほど大切な文書だったのか思いのほかよろこんで下さり、お礼にといって手渡して下さったのが、数本のバラの枝だった。
「水あげをして鉢にさせばすぐに根がはりますよ。是非ふやして下さいな。」
という心やさしいことばとともに遠慮なくいただいて帰った。それが三年ほど前の出来事で、それから毎年春と秋の二回、やわらかいピンクの大輪の花をつけるほどに成長した。
思えば、ささやかではあるけれど我が家の庭にある樹木の一本一本に一通りではないエピソードがある。子供たちが幼い頃、夢中でひろいあつめたどんぐりから芽が出たとちの木。知人からいただいた実があまりにも甘くおいしかったために、十五個あった種を全部ていねいに埋めてみたところ、十五本全部ならんで育っているビワ。イベントの記念の富士桜。友人が自分の家の庭から引きぬいて軽トラックにつんで運んでくれたシュロ。ご近所のおばあちゃんが大きな実をいくつか埋めてくれて、それからぐんぐん伸びたカリン。仮にも美しく整然とした庭とはいえないけれど、その一本一本を見るたびにさまざまな思いがうかんであきることがない。よそ様の庭も ― 失礼ながら一見雑然としている場合も時には見うけるけれど、― それぞれに住む人の思いがこめられていると思うと味わい深いふぜいがあると感じられるようにもなってきた。人に歴史があるように庭の木々にも文字通りさまざまな年輪がきざまれているのだ。
我が家のバラはといえば、背たけも花数も“実家”のそれにはまだまだ遠く及ばないけれど、思い出をあたためるようにこれからも大切に育てていきたいと思っている。