第 2852 号2003.09.21
「 ききょう 」
藤田 智恵(島根県安来市)
ききょうの花がふくらんで、紫の花を咲かせる頃、母はガンの手術を終え、退院してきた。少し痴呆があり、すぐバタバタと世話をやき、長年やっていた家事はうれしそうでもあった。あちらを散らかし、こちらをひっかき回し、そしてよく笑い、子供の様な目になっていた。
父、82才“これからはワシが看る”とばかりはりきった。二人住まいでこれからが大変なのに…。まず、ダブルベッドが買われた。きれいな木目のおまる。家中に介護棒がつけられ、部屋の段差がなくされた。母は喜んで、慣れぬベッドの上をころげ回っていた。料理のお弟子さんはヘルパーさんだった。弟はダブルベッドなんてとため息をついた。けど父には考えがあった。母に柵やひもをつけたくなかった。
自分がしっかりだいて、安心して休める母を望んだ。「ああ、夫婦だな」
五十年も二人して築いた家で、ただただ父を頼りに、はしゃぐ母は美しかった。父もりっぱだった。
けど、十二月には脳出血で再入院。なんとか乗りきって、動きの悪くなった母は、父の待つ家へ帰った。よく笑う母に父は心をいやされていた。しかし、ガンは進行し、痛みは入院せざるをえなくなっていた。
七月に再々入院「ありがとう、お世話になったね」と母はまじめだった。一ヵ月後、孫や子供に囲まれた幻覚を観ながら帰らぬ人となった。
それは涅槃図にも思えた。父は母への義務だといって介護していた。
けど長い長い夫婦生活が、深い愛をかもし出し、戦友にも似た二人をみた。母の死後、父は全ての母の物をかたづけ、ベッドもやめ、一人で生きていく努力をした。忘れようとすればするほど、母は父をつかまえて離さなかった。そして二月、あっけなく父は脳梗塞で、旅だった。おりしも観音様の縁日だった。
そして、又、今年もききょうが咲いた。