第 2847 号2003.08.17
「 電話のはなし 」
趙 栄順(太田区)
昔、電話は孤高だった。人の集まる賑やかなところには、まず置かれなかった。廊下の片隅に、あるいは玄関口に、それはひっそりと置かれていた。だからと言ってないがしろにされていたわけではない。
電話台の上に、その黒光りする重厚なからだを乗せ、頼りがいのある父親のような威厳と存在感を示していた。
彼の声はよく響いた。めったに鳴らないそれが鳴るときは、たいていは火急の用だったから、家内に緊張が走った。入院中のお祖母ちゃんの急変か、あるいは親戚の不幸か。いい知らせというのは、とんとなかった。電話は楽しいおしゃべりの道具ではなかった。三分間十円というのは、安くはない。五分が限界。それ以上になると、父親の咳払いが聞こえたり、母親が様子を見に来たりした。それでなくても、寒い廊下では長くはいられなかったし、重い受話器を持つ腕もだるくなった。
昔、電話はダイヤル式だった。潮騒のような音を立てて、ゆっくり行ってゆっくり戻ってた。こんなことがあった。高校時代、片思いの人に告白しようと、意を決して臨んだが、七回ダイヤルを回す間に気持ちがくじけて結局諦めた。電話は思慮深く、恥じらいを知っていた。
昔…、いや、もう、昔の話はやめよう。
今、私の傍らには青いケータイが寄り添っている。電車や喫茶店で傍若無人に話す輩を苦々しく思い、軽佻浮薄を絵に描いたようなそれを、私だけは手にすまいと誓った、筈だった。
この春、つい出来心から手にしたそれを飼い初めて三か月。奴はふいに季節はずれのコオロギのようにコロコロと鳴いてみたり、声もなく可憐な肩を震わせたりもする。そんなとき、愛しい奴め、などと思わなくもない。