第 2846 号2003.08.10
「 トマトの思い出 」
匿 名(世田谷区)
食卓に並んだトマトを見ると思い出すことがある。
それは何年か前の夏のこと、父と私は長野県へ車で出向いた帰り道、高速インター入口近くに小さな野菜直売所の看板を見つけ、新鮮な高原野菜の手土産も悪くはないと立ち寄ってみた。
店の脇には小さな畑があり何本かのトマトが植わっていた。
肩ほどの丈に伸びたトマトは大方収穫が終わっていたようだったが、中の一本に子供のこぶし大の実が二つだけ忘れられた様に残っていた。
店内のあれこれと野菜を選んでいると突然父が何を思ったか
「脇の畑のトマトを売ってもらえませんかね。」と切り出した。
だが店の主人は「あれは売り物じゃないから。」と素っ気ない。
「そこをなんとかお願いしますよ。」と父もしつこく食い下がる。
何度かのやり取りの後、とうとう店の主人は根負けしたらしく
「そんなに欲しけりゃもって行きな。金は要らないから。」といって枝からもいだばかりのトマト二つを無造作に袋に放り込んでくれた。
その時の父のうれしそうな顔といったら無かった。
その晩、我が家の食卓には形よい大振りのトマトと共に小さく歪な二つのトマトが並んだ。
私は真っ先にその小さなトマトをかじってみた。それは今まで食べたどのトマトよりもおいしかった。
父があそこまであのトマトに執着した理由がわかったのであった。
そんな父も今年の夏はもういない。