第 2843 号2003.07.20
「 鉛筆書きの便り 」
田中 寿子(岐阜市)
私が尊敬する中学時代の後輩から便りが届いた。年に数回手紙のやりとりを楽しむが、真面目な努力家で控えめな性格そのままの彼女の手紙はいつ貰っても心が和む。
ペンを使って達筆な手紙を書く彼女が、今回珍らしく鉛筆で書き、追伸で「鉛筆書きで失礼ですが…」と詫びているが、どうしてどうして、ペンとは又異なる味わいがあり、その上、鉛筆書きの便りに格別の思いがある私は喜んでくり返し拝読した。
私が「心の母」と慕い、尊敬する静岡県のS様の便りは常に鉛筆書きだ。
78歳の彼女は時折ご丹精の野菜や柑橘類を送って下さるが、中に必ず入っている手紙が又楽しみだ。本人は「折れ釘が又曲ったような字」と謙遜されるが、私は亡母によく似た個性的な文字を見ると、いつも胸が熱くなり汗の結晶である贈り物が何倍にも有り難い。
実家の母は昔子供達によくハガキをくれた。
「ホッタロ(蛍)がとびはじめました。イスラがまっかにいろんであまくなりました。
いちどあすびに(遊びに)きてください。
みんなもコロ(犬の名)もまっております。」
禿びた鉛筆を舐め舐め綴ったであろう方言丸出しのハガキを、子供達がどんなに喜んだことか。その母も58歳で逝き、もう30年が過ぎた。
鉛筆、ペン、万年筆、毛筆etc.、筆記用具は何であれ、直筆に勝る便りはなかろう。
要は心がこめられているかどうかだ。私も彼女達をお手本に、受け取った人に喜んで貰えるような便りを心を込めて書きたいと思う。